#035 にゃるらとさんの戯言

役に立つかもしれないし、立たないかもしれない:哲学編


哲学って言えば聞こえも良いし、頭が良さそうな、難しいそうな雰囲気が漂うけれども(少なくとも、にゃるらとさんはそう思ってる。永遠に厨二なのだ)、実際のところ役に立つかと問われれば、NOだ。人に哲学的にこれは〜なんて話すのも恥ずかしい。

別に人間の真相心理とか、行動原理だとかが分かった所で儲かる訳でもないし、恋人の1人2人も出来やしない。それが現実だ…

哲学は悪く言えば、暇な人間の戯言なんだと思う。
ただ、裏を返せば精神的に余裕がある人間しか、哲学なんてややこしい、出口のない妄想は出来ないのではないだろうか。(哲学が大好き否定の否定)

精神的に余裕のない、とにゃるらとさんが言いたいのは”自分の世界で完結するヒト”だ。例えば、常に不機嫌MAXだとか、あまりにも真面目で融通がきかない、逆にワガママ過ぎて残念な、等々、そういうヒトである。

そんな訳だから(?)世の中、いろいろな種類の人間がいる。対にすれば分かりやすいだろうか?
怒りっぽいー優しい。気弱ー厳しい。寛容ー厳格。攻撃的ー無関心。

もちろん個人の性格と言えばそれまでだが、
家族構成、土地の気質、文化、宗教、お国柄といったバックグラウンドが性格に大きく影響するだろう。

にゃるらとさんは基本的に決定論は認めたくないスタンスだ。全てが運命で決まった物語である、だとか、自由意志は神に背く、と言うものはあんまりだと思う。

人間の人間らしさたるは不完全で、愚かで、ワガママな所であり、人間もまた動物だという事実がある。人間が地球で1番偉い、ということはない訳だ。

アリストテレス先生いわく、人間は社会的動物(ポリス、善く生きようとする共同体)
だが”善く生きる”ために学校、会社だとか地域に依存する/縛られているのは幸福と言えるのだろうか。

もちろん幸福に形はないし、だからこそ、果てがない。欲しいものがあり続ける限り、完璧な幸福なんてもの有り得ない。

共依存は決して悪い事ではない。何事も歯車が無ければ動かないし、歯車だけでも意味がないように、集団が存在してこそ個があり、個の集まりが集団になる。

人間の心理や行動原理はある程度、共通しているだろうが、個人の捉え方はそれぞれあるだろうから、当てはまらない事象もあるはずだ。だからこそ哲学というものが、必ず役に立つとは言えないだろう。



これからブログに綴るのは(あるいは綴るの予定のあれこれは)、あくまで独り言の延長だろうが、まあ、賢くなった気にでもなれれば、それで充分なのかもしれない。

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